大学令施行前の1892(明治25)年から1922(大正11)年にかけては、数人程度の卒業生が出ていますが、時に一人二人という年もあり、1902(明治35)年から1906(明治39)年にかけては卒業生がでていませんでした。
大学令が施行された後となる旧制大学、新制大学の卒業者数を1922(大正11)年から2012(平成24)年までグラフにしました。『慶應義塾史事典』、三田評論、塾報の記載から推移をまとめたものです。
1922(大正11)年に22人であった卒業生は,その後40人へと増え,昭和初期には70,80人と伸びますが,その後は50人前後に減ってしまいます。1942(昭和17)年に194人の卒業生を輩出していますが,これは第二次世界大戦末期の大学在学年限短縮、繰上げ卒業のためです。
戦後,1950(昭和25)年から新制大学での卒業となり,100人の卒業生をだします。その後も順調に卒業生は増え,昭和30年代には400人から800人近くへと急増します。
1970(昭和55)年に921人の卒業生を出して以後,800人から900人前後で上下しています。2000年以降,その数はさらに減り,700人から800人前後の卒業生となっています。